校長挨拶
校長だなんて、そんなに偉くありません。ただ、名前がnew education school がつくから校長。
みんなからは、「べんさん」と呼ばれています。よろしくお願いします。
 NESげんこつのホームページへようこそ。
 どうぞ見て下さい。そして、興味が沸いたらご意見やご連絡を下さい。お待ちしております。
 さて、ニュースを聞くと嫌な少年少女の犯罪のニュースが後をたちません。こういう、犯罪を聞くたびに憂鬱になってしまいますね。
 こういう事件が起こると親が悪い、学校が悪いといい、管理を強める意見が起きます。はたしてそうでしょうか?
 げんこつはそうは思いません。一番の大事な事は、子どもを管理することではなく、充実した子ども世界を実現させてやることです。失敗を体験させその失敗を考えさせ自分と向き合わせることです。管理ではなく考えさせることです。
 管理とは、学校では先生が右を向けといったら右を向く、家庭では口を出し、手を出し、子どもに失敗をさせないで、考えさせないで、好ましいと思う行動や考えを刷り込むことです。そう して、効率的な学校運営、効率的な人間関係を維持することです。それでは、これからの激動の世界を生き抜いていくことは出来ません。子どもに自分の能力を思いっきり出させ自分を試す体験をいっぱいさせましょう。それなくして頼もしい大人には育ちません。

 げんこつは考えます!!

 子どもたちに何よりも何よりも身につけて欲しいこと。
 それは、人間への興味です。今ほど、人間への興味が薄れているときはないのではないですか?今一番興味があるのは、ゲーム、スポーツ、音楽、勉強、電化製品、などなど、人間そのものではなく、人間が作り出した、人間に付属しているものばかり。もちろんそれを通して人間を洞察していけばいいのですが。いまはそこでストップ。
 所有しているだけで満足している。所有していることを自慢し合っている。奪いあっている。とても悲しいと思います。そして、究極が「お金」。だから、物やお金以外で興味があるのは自分のことだけ。自分が気持ちいいか悪いのか。自分が得をするのかしないのか。傷ついた、傷つかしたと、けなし合い。なぜ、もっと理解し合おうとしないのでしょうか?この世の中で一番正しいのは自分である。といわんばかりにけなし合っています。または、この世の中で一番不幸なのは自分だと恨みを募らせ。どうせ誰もわかってくれないと引きこもり、いつも誰かに助けてもらうことばかり待っている。それが、期待できないと暴れます。または、自らの体を傷つけ、果ては自殺する・・・とても悲しいことです。

 この悲しさは、子どもたちの責任ではありません。育てたのは私たち大人です。私たち大人が行ってきた子育てと教育の結果です。私たち大人が何を大切にするのかを見つめ直さないとならないのだと思います。子どもに罪をなすりつけ、罰を与え排除してそれでよしとすることは避けたいと思います。
 子どもは生まれる場所も時代もそして親も選べません。子どもたちにはうまくいかないことを誰かの所為にして文句ばかり言ってなにもしないことのないように。現実に負けないで自分らしさに気づき、人と比べず、困った時には助けを求め、自分の背丈で生きて行けるそんな生き方を身につけていって欲しいと思います。

 
 裏切られても人を信じ、喧嘩別れしても人を信じ、自分を主張するが、相手の話にも耳を貸す。決して人を馬鹿にせず、悪いと思ったら誤る。馬鹿にされたら抗議をし、分かってくれたら、許してあげる。「ありがとう」の言葉をもらうことに幸せを感じ、苦しんでいる人がいたらほっとけない。誰かのために怒れる。そんな人間関係を根っこにもって欲しいのです。
 日本人は、かつてはそうでした。一億中流意識時代までは。貧乏人も金持ちも、悪いものは悪いといえる場がありました。学校はそんなところでした。男も女も、貧乏人も金持ちも、偉い人も、みんなクラスのなかで平等でした。大人は下町の粋、下町のプライドってもんがありました。辰っちゃんや松っちゃんが「てやんでぃ」と談義していました。それが、21世紀の日本はどうでしょうか。格差、格差で息が詰まっています。格差を作ったのは人間です。自然現象ではありません。貧困を作ったのは人間です。戦争をするのも人間です。自然現象ではありません。
 こんな世の中で賤しい人間に成り下がって欲しくありません。
 そのためには、小学校時代までに、傷を舐め会うのではなく自分の意見を言って、いっぱい喧嘩し、いっぱい傷つけあって、いっぱい泣いて、いっぱい怒って、いっぱい慰めてもらって、いっぱいスキンシップしあって。いっぱい自分を試してみて、いっぱい擦り傷切り傷作って、自分の体は直す力があるって知って、いっぱいしゃべって、いっぱい笑って、笑って、いっぱい失敗して、いっぱい考えて、いっぱい聞いて、いっぱい試してみて、いっぱい分かりあって、いっぱい怒られて、いっぱい食ってかかって、人間っていろいろとあるけど信じられるものなのだなという根っこを作って欲しいと思います。もっともっと人間に興味をもって欲しいと思います。遠くにいる電子文章でやりとりする人だけでない隣にいる人と触れ合うことを、家族だけでなく、家族以外の世界中の人とつながることを大切にする人間になって欲しいと思います。
  げんこつは、そんなことをめさしてる場所です。偉くなくていい、金持ちでなくていい、知らなくていい、えばらなくても、知ったかぶらなくても、安心して、楽しくなるところです。